世界保健機関(WHO: World Health Organization)は、健康、社会、経済、教育への影響を考慮した際に、ワクチン接種が最も費用対効果の高い公衆衛生学的な介入であると述べている。一方で、世界的にはワクチン接種をしないもしくはできないことにより「ワクチンで予防可能な疾患(VPD: Vaccine Preventable Disease)」に毎年150万人が罹患している。日本では、ワクチン接種に関連する健康被害に対して社会が過敏に反応し、メディア報道や訴訟などにより予防接種政策を再考しなければならない事例が生じている。また、子どもを持つ親が親自身や子どもへのワクチン接種を躊躇したり拒否したりするワクチン忌避(Vaccine Hesitancy)と呼ばれる現象も見られている。そのため、定期予防接種をスケジュール通りに国民に提供できない事態が生じている。また、制度の変更などの影響もありVPDが日本でもいまだに報告されている。
近年の国際機関や諸外国における予防接種政策では、科学技術の進歩や生活様式の多様化を踏まえた上で、小児期のみならず青年期、中年期、高齢期を含む生涯を通じたライフコースに基づいた予防接種の重要性が益々高まっている。また、ワクチン忌避の動きに対応するために、その有効性、安全性そして接種の必要性について科学的なエビデンスをわかりやすく発信するとともに未接種世代に対してキャッチアップのための制度を導入するなど、様々な取り組みを実施している。日本では予防接種の制度設計、行政の認識、また医療提供者の認識といった要因において、ライフコースアプローチの取り組みが必ずしも十分とはいえない現状がある。
2021年5月上旬の時点において、新型コロナウイルス感染症(COVID-19: Coronavirus Disease 2019)は、約300万人の命を奪うとともに、世界的な経済および社会の混乱を引き起こしている。その終息に向けて、治療方法の確立とともに有効で安全なワクチンに対する期待が世界的に高まっている。日本においても、感染症に対する危機感の高まりとともに、予防接種やワクチンを取り巻く国内の状況について、全世代の関心が高まっている。
以上のように、予防接種・ワクチン政策に関して社会の関心が高まる中で、国民一人一人が予防接種で享受する個人と社会に対する価値について理解を深め、ライフコースを通じて予防接種の実現と全世代に渡って予防接種のもたらす価値を認識することが重要である。日本において、ライフコースに基づく予防接種や未接種世代に対するキャッチアップに対する政策の実現が期待される。
日本における予防接種の政策への考えと課題
厚生労働省が定めている「予防接種に関する基本的な計画」では、1948年(昭和23年)の予防接種法制定以降、ワクチンが、公衆衛生水準の向上並びに国民の健康の保持に著しい効果を上げ、かつて人類にとって脅威であった天然痘の制圧や西太平洋地域におけるポリオの根絶等、人類に多大な貢献を果たしてきたことは、歴史的にも証明されていることが明記されている。一方で、予防接種に対する副作用等の国民の懸念が長きに渡り払拭されていないこと、他の先進国と比較して公的に接種するワクチンの数が少ないこと等も今後の課題として触れられている(ワクチン・ギャップ)。
(厚生労働省ウェブサイト「予防接種に関する基本的な計画」より)
ワクチンと予防接種とは
東京都医師会の「予防接種とは?」というウェブサイトでは、”「毒性を弱めた病原体(ウイルスや細菌)や毒素を、前もって投与しておくことにより、その病気に罹りにくくすることを予防接種といい、投与するものをワクチンあるいはトキソイドという」”という説明がなされている。
(東京都医師会ウェブサイト「予防接種とは?」より)
従って、“予防接種”は“行為”、“ワクチン”は接種にしようする“モノ”を指すと考えることができる。また、ワクチンにはその生成の方法によって、主に生ワクチン、不活性化ワクチン、そしてトキソイドの3種があるが、COVID-19対応からもわかるように、技術的な進歩が近年目覚ましい。
定期接種と任意接種について
また、伝染の恐れがある疾病の発生およびまん延を予防することを目的として施行されている予防接種法では、「定期接種」と「任意接種」という分類を行っている。また、集団予防、重篤な疾患の予防に重点を置き、国の積極的な勧奨があり、本人(保護者)に努力義務があるA類疾病と個人予防に重点を置き、本人(保護者)に努力義務がないB類疾病という考えのもとで対応策を変えている。そのため、定期接種なのか任意接種なのかによってその運用のあり方も大きく変わってくる。
定期接種 | 集団予防を目的とする感染症(A類疾病) | Hib(ヒブ)ワクチン | Hib(ヒブ)感染症(細菌性髄膜炎、喉頭蓋炎等) |
小児用肺炎球菌ワクチン | 小児の肺炎球菌感染症(細菌性髄膜炎、敗血症、肺炎等) | ||
B型肝炎ワクチン | B型肝炎 | ||
ロタウイルスワクチン | 感染性胃腸炎(ロタウイルス) | ||
4種混合ワクチン | ジフテリア、百日せき、破傷風、ポリオ | ||
BCG | 結核 | ||
MR(麻しん風しん混合)ワクチン | 麻しん、風しん | ||
水痘(みずぼうそう)ワクチン | 水痘(みずぼうそう) | ||
日本脳炎ワクチン | 日本脳炎 | ||
HPV(ヒトパピローマウイルス)ワクチン | HPV感染症(子宮頚がん) | ||
個人予防を目的とする感染症(B類疾病) | インフルエンザワクチン(高齢者が対象) | インフルエンザ | |
成人用肺炎球菌ワクチン(高齢者が対象) | 成人の肺炎球菌感染症 | ||
任意接種 | おたふくかぜワクチン | おたふくかぜ(流行性耳下腺炎) | |
3種混合ワクチン | ジフテリア、百日せき、破傷風 | ||
インフルエンザワクチン | インフルエンザ | ||
A型肝炎ワクチン | A型肝炎 | ||
髄膜炎菌ワクチン | 髄膜炎菌感染症 |
生ワクチン | 不活化ワクチン | トキソイド |
---|---|---|
麻しん | 百日咳(DPT-IPV:四種混合として) | ジフテリア・破傷風混合 |
風しん | 日本脳炎 | (DTトキソイド:二種混合として) |
麻しん風しん混合 | インフルエンザ | DPT-IPV:四種混合として |
水痘 | A型肝炎 | 成人用ジフテリア |
おたふくかぜ | B型肝炎 | 破傷風 |
黄熱 | インフルエンザ菌b型(ヒブ) | |
BCG | 13価結合型肺炎球菌 | |
ロタウイルス | 23価莢膜ポリサッカライド肺炎球菌 | |
ヒトパピローマウイルス | ||
狂犬病 | ||
不活化ポリオ | ||
髄膜炎菌 |
(東京都医師会ウェブサイト「予防接種とは?」より)
日本の予防接種・ワクチン政策における課題
日本では、乳幼児期におけるワクチンの接種率は極めて高いものの、ワクチン忌避(Vaccine Hesitancy)と言われ、啓発が上手くいかず接種率が思うように上がらない傾向が、特に思春期以降の自ら意思決定を行う年齢になった人々に見られる。主な例としては、ヒトパピローマウイルス(HPV)ワクチンや、高齢者のインフルエンザワクチン、高齢者の肺炎球菌ワクチンが挙げられる。
HPVワクチンについては、他国と比較して日本での接種率は極めて低くなっている。WHOによる2019年の推計では、15歳の女性でワクチン接種をした人の割合は、アメリカが55%、オーストラリアが80%の一方で、日本は0.3%となっている。日本で接種率が著しく低下した原因の一つが、さまざまな副反応に関する報道とともに厚生労働省による「積極的推奨」の中止にあると考えられている。これは、HPVワクチンの接種が原因ではないとは言い切れない重大な副反応が報告されたことによる当時の決定であった。現在(2021年5月)、「厚労省の積極的推奨の中止」を取りやめ、推奨を再開すべきであるとの声が増加傾向にある。
また、日本の高齢者のワクチン接種率は、無償化や自己負担額の低減対応があるにも関わらず、他国と比較して低いことが分かっている。インフルエンザワクチンの接種率は50.2%と全高齢者の半分程に留まっており、肺炎球菌ワクチンの接種率は37.8%とインフルエンザワクチンよりもさらに低い。
各自治体や国の対策とは裏腹に接種率が伸びない理由の一因として、副反応などもあるが、対象となる集団に対するコミュニケーション不足があげられ、改善の余地がある。ワクチン忌避の傾向は主に副作用に関する懸念に由来するが、ワクチンに対する理解を得るためには一方的に有効性を伝え接種を強要するのではなく、その不安や懸念、意思を受け止め尊重した上での丁寧な対話(コミュニケーション)が求められる。
以下は、米国にあるパブリックリレーションズ協会(IPR: Institute for Public Relations)によるCOVID-19に関するワクチンについて発信をする側(コミュニケーター)に求められる17つの鍵をまとめたものである。本取りまとめでは、COVID-19ワクチンに関する内容となっているが、全てのワクチン対策に対して当てはまる記述も見られる。