【2018年版】1.2公的医療保険の歴史

現在の日本の医療制度を理解するには、その成り立ちから理解することが不可欠である。日本の公的医療保険制度は、職域保険(被用者保険)、地域保険(国民健康保険)、後期高齢者医療制度という異なる3つの構造から成り立つ。 この 3 つの公的医療保険が、現在、ほぼ全ての日本国民と日本国内の長期滞在者(合わせて 1 億 2,700 万人以 上)をカバーする世界最大級の医療保険制度の礎となっている。このように複数の制度、複数の医療保険者により運営されている背景には、1922年の健康保険法成立以降、様々な制度改正が行われてきた歴史的経緯がある。


公的医療保険の歴史

職域保険-軍事的労働力確保のニーズから発達

1920年代以前の医療保険と生命保険は、民間企業では民間共済組合、公務員に対しては官業共済組合により提供されていた。当時、これらの組合への加入は任意で行われており、給付金額や掛金率も加入者1人1人により異なるものであった。この制度が現在まで続く政府主導の職域保険の形へと移行したのは1927年であったが、それに先駆けて1922年に健康保険法が制定された。健康保険法の制定により、10人以上の従業員をもつ企業は健康保険組合を通して従業員の健康保険を提供することが義務付けられた[10]。また、他の医療保険制度と同様、政府によって給付金や掛金に関する規定が設けられた[11]。当初は財政が不安定であったため、決して良いスタートではなかったものの、軍事的労働力を確保する必要が高まったことにより職域保険は勢いを増していった。1934年には職域保険の対象を「5人以上の従業員のいる会社」へと拡大し、その後、改正を重ねることにより現行の2つの職域保険制度へと段階的に移行した。その一つは主に常時700名以上の被保険者が働いている大企業の従業員や公務員向けの健康保険組合であり、健康保険組合や共済組合により提供されている。もう一つは、全国健康保険協会(以下、協会けんぽ)により提供される中小企業の従業員向けの健康保険である。


地域保険の義務化で60年代には国民皆保険を達成へ

地域保険は「定礼(常礼ともいわれる)」という形で20世紀以前にすでに存在していた。しかし、現在の地域保険である国民健康保険制度は、1938年の厚生省(現厚生労働省)の設立と国民健康保険法の成立よりも後に確立した制度である。第二次世界大戦という時代背景の中、国民健康保険の導入は困難を極め、さらに各自治体により任意で設立・運営されていたために、全ての国民に普及するには程遠いものであった。実際に、1956年の時点では日本の人口の約3分の1が医療保険に未加入の状態であった。この状況を受けて1958年に国民健康保険法が改正され、全ての市町村における地域保険制度の設立が義務化された。この改正が後押しとなり、1961年に国民皆保険が達成された[12]。当初、国民健康保険は医療費の50%を給付していたが、給付率は1968年には70%にまで達した。各保険における(医療費の)負担割合はその後何度も調整されてきた。現在の給付内容については、「日本の医療保険制度」を参照。


老人医療費の「無料化」と高齢者医療制度の制定

福祉元年と呼ばれた1973年には、高齢者を対象とした新たな医療保険体制である老人医療費支給制度が創設された。公費の効率的な再分配により、70歳以上の高齢者ほぼ全員についてそれまで自己負担であった医療費30%分が無料化された[13]。老人医療費無料化とともに「高額療養費制度」も創設され、まずは被用者保険の家族が対象となり、次いで国保、被用者本人にも広まった。高齢者の医療のための支出は1980年までに1973年以前の4倍以上に膨れ上がり、財源の持続可能性に対する懸念が広がったことから、1982年に老人保健法が制定された。同法は高齢者に対して少額の自己負担を課すものであり、「老人医療費無料化」の時代を終えることとなった12。また、この法律により職域保険の保険料を市町村運営の国民健康保険に充て、財政補助をすることが可能になった。これら2つの改革をもたらした点において、老人保健法は日本の医療制度の歴史上で最も重要な医療政策関連の法律の一つである。


老人保健制度と退職者医療制度

老人保健法の制定により、1982年に創設された老人保健制度は、対象者を70歳以上の者及び65歳以上の一定の障害者とし、運営主体は市町村とした。財源は、医療保険者からの拠出金、公費、一部負担金で賄われていた。しかし、次にあげる問題点が指摘され、見直しを図ることとなった。まず、若人と高齢者の費用負担関係が不明確であり、実際に各公的保険の加入者が納めた保険料の一部が拠出金として市町村へ納められる構図、つまり、保険料の納付場所(加入している医療保険制度)と拠出金が使われる場所(市町村)が分離している点などがあり、納めた保険料の使途が大変分かりづらい制度であった。老人保健制度は、2008年4月に後期高齢者医療制度が創設されたことによって、廃止された[14]。後期高齢者医療制度では、老人保健制度で不明確とされた若人と高齢者の給付費の負担割合を明確にし、保険料の納付場所と拠出金が使われる場所を都道府県連合会ごとに設置した広域連合に一元化し、財政・運営責任の明確化を図った。

また、退職した被用者保険の加入者が国民健康保険に加入することで、国保財政を圧迫するという医療保険制度の構造上の問題へ対応するため、1984年には、退職者医療制度が創設された。退職者医療制度の対象者は、国民健康保険の被保険者で65歳未満、厚生年金等の被保険者期間が20年以上ある者、もしくは40歳以降に10年以上加入して老齢年金を受けている者であり、一定の認定基準を満たすことができれば、被保険者本人の扶養者も対象となった。運営主体は国民健康保険の保険者である市町村であったが、財源は退職被保険者等の保険料と被用者保険の保険者が拠出する拠出金で賄われていた。退職者医療制度も、2008年4月に創設された新たな高齢者医療制度により廃止された[15]。


新たな高齢者医療制度の仕組み

医療政策を知る上で重要となるのは2006年の医療制度改革である。この改革により、75歳以上の後期高齢者を対象とした医療保険制度が新たに創設された。こうした新たな制度が創設された理由については、次のような経緯があった。地域保険にあたる国民健康保険は、被用者保険の加入者以外で日本国内に住所を有する者を加入の対象としている。そのため被用者保険の加入者が退職した際には、国民健康保険へ加入するという構造になっている[16]。こうした構造により、想定される退職後の年齢を踏まえると国民健康保険は被用者保険と比べ、加入者の高齢化が進んでいる。つまり、国民健康保険へ加入する多くの国民は、医療費が高くなる高齢期に国民健康保険へ加入することとなり、財政を圧迫している状況にある。このような医療保険制度の構造的な課題への対応として、2006年の医療制度改革により、“高齢者を社会全体で支える仕組み”が創設された。具体的には、75歳以上については、高齢者の保険料が約1割、現役世代からの支援金と公費で約9割を賄う新たな制度が創設され、65歳から74歳については各々が職域保険もしくは地域保険に加入した状態で、保険者間の財政調整を行う仕組みが創設された。前者を後期高齢者医療制度といい、独立した1つの医療保険制度であり、後者を前期高齢者に係る財政調整の仕組みという。


介護保険制度の創設

介護保険制度創設以前の高齢者介護については、老人福祉と老人医療とに区分されていた。老人福祉は、市町村がサービスの種類、提供機関を決めるため、利用者がサービスを選択できない、本人と扶養義務者の収入に応じた利用者負担となるため中間所得者層にとっては負担が重い等の問題があった。一方老人医療については、福祉サービスの基盤整備が不十分であったため、介護を理由とする一般病院への入院の長期化の問題、治療を目的とする病院では、介護に要するスタッフの数が足りず、生活環境の面で介護を要する者が長期に療養するには体制が不十分などといった問題があった[17]。また高齢化の進行により、医療ニーズが急性期中心から慢性疾患中心に大きく変化し、医療と介護を一体として継続的なケアを提供する必要性が高まっていた。さらには、核家族化の進行、介護する家族の高齢化などを背景に、長期療養が必要な入院などのケアニーズを医療保険でカバーするには財政負担の点からも困難であり、従来の老人福祉、老人医療制度による対応では限界があった。そこで、高齢者の介護を社会全体で支え合う仕組みとして1997年に成立した介護保険法により、65歳以上及び加齢に伴う病気を患う40歳以上の全員を対象として創設されたのが介護保険制度である。介護保険制度は、利用者自らがサービスの種類や事業者を選んで利用できるが、サービスの手配を利用者本人が行うことは難しいため、新たに介護支援専門員(ケアマネジャー)という職種を設けた [18]。利用者負担は、所得にかかわらず利用者は原則かかった費用の1割を負担する(一定以上所得のある場合は2割負担)。なお、介護保険制度では、医療保険と異なり、「支給限度基準額」を設けることで、支給限度額を超えるサービスを受けた場合、超えた分の費用は全額自己負担となる。


その他の医療政策関連の法律

公立病院における医療水準を確保するための病院の施設基準を定めた、1948年に公布された医療法も重要な法律と言える[19]。医療法は医療計画制度の導入や、地域コミュニティでのニーズに対応した医療機関の提供を実現する等のため、現在までに計8回の改正が行われている。また、2015年の医療保険制度改革法案の成立は、その後の医療保険制度の在り方を左右する大きな改革であった。これは、これまで市町村が運営していた国民健康保険を2018年から都道府県に移管するもので、都道府県が財政運営と医療提供体制で大きな権限と責任を持つようになることを意味する「国民健康保険制度創設以来最大の改革」(厚生労働省幹部)である。







<コラム>老人医療費無料化-
日本の医療政策の最大の「失敗」

 

老人医療費無料化は、政府では「日本の医療政策最大の失敗」(厚生労働省元幹部)と言われた。無料化は、高齢者の医療機関へのアクセスを劇的に改善した。一方で、過剰診療、薬漬け医療、そして病院の待合室に高齢者があふれる「病院のサロン化」などの医療サービスの「過剰使用(オーバーユース)」を招いた。当時の病院での様子を描写する高齢者同士の会話がある -「あれ、今日は山田さんは病院に来てないの?」「今日はどこか具合でも悪いんじゃない?」-用事がなくても無料で暇つぶしができる病院が人気だった、というジョークである。無料化による患者の「不適切受診」(専門家は  「モラルハザード」とも呼ぶ) も大きな原因であるとされ、その後政府は、医療サービスには一定以上の自己負担を求める方針を徹底するようになる。しかし、一度無料化した自己負担を引き上げるのは政治的に極めて困難であり、それが実現するまでには実に10年の月日を要した。

参考文献

[10] 池上直己(2017)「日本の医療と介護 歴史と構造、そして改革の方向性」日本経済新聞出版社

[11] Sugita Y. The 1922 Japanese Health Insurance Law. Harvard Asia Quarterly 2012; 14: 36-43.

[12]池上直己(2014), 日本国際交流センター「包括的で持続的な発展のためのユニバーサル・ヘルス・カバレッジ:11カ国研究の総括」http://www.jcie.or.jp/japan/pub/publst/1453/1453all.pdf(アクセス日2018年1月29日)

[13] 厚生労働省「高齢者医療の現状等について」http://www.mhlw.go.jp/file/05-Shingikai-12601000-Seisakutoukatsukan-Sanjikanshitsu_Shakaihoshoutantou/0000125580.pdf(アクセス日2018年1月29日)

[14] 厚生労働省「老人保健制度からの変更点」http://www.mhlw.go.jp/bunya/shakaihosho/iryouseido01/info02d-25.html(アクセス日2017年8月22日)

[15] 厚生労働省「医療保険制度体系の見直し」http://www.mhlw.go.jp/bunya/shakaihosho/iryouseido01/taikou05.html(アクセス日2017年8月22日)

[16] 厚生労働省「我が国の医療保険について」http://www.mhlw.go.jp/file/06-Seisakujouhou-12400000-Hokenkyoku/0000172084.pdf(アクセス日2017年8月22日)

[17] 厚生労働省「公的介護保険制度の現状と今後の役割」http://www.mhlw.go.jp/file/06-Seisakujouhou-12300000-Roukenkyoku/201602kaigohokenntoha_2.pdf(アクセス日2017年8月22日)

[18] 池上直己(2017)「日本の医療と介護 歴史と構造、そして改革の方向性」日本経済新聞出版社

[19] 厚生労働省「平成19年度版厚生労働白書」http://www.mhlw.go.jp/wp/hakusyo/kousei/07/dl/0101.pdf(アクセス日2018年1月29日)