© Health and Global Policy Institute
身近なところから始めるデジタル技術の活用
インタビュアー
本日はお忙しいところお時間をいただきありがとうございます。
――近年、これまでの医療技術(ヘルステック)に加え、ICTを医療分野に応用した医療ICTも大きく進化してきています。このような新しいサービスが生まれる環境が整い始めてきている中で、数年先を見越した際に、株式会社フィリップス・ジャパン(以下、フィリップス)ではどのような変化が起きると考えていますか。
``重要なのは高度な技術を利用する人間``
堤 浩幸
平均寿命の延伸とともに健康寿命という考え方が出てきました。寿命と健康寿命の差は「健康ではない期間」を表しており、「健康で長生きをしたい」という人々の思いを具体化するための解決策を、ICTやデジタル技術を最大限に活用して提供する事が求められていると感じています。
しかし、短期的にICTやデジタル技術による解決策に注目が集まる中、長期的な視点ではこれらがすべての解決策とは限りません。デジタル技術は医療従事者へ必要な情報を必要な時に提供し、意思決定の迅速化に貢献することは出来ます。迅速な意思決定は医療従事者の生産性を高め、患者や社会が得られる価値を高めます。しかしながら、忘れてはならないことは、最終的な意思決定は人間である医師が担うということです。高度な技術をどう利用するのかは、それを利用する人次第であることに変わりはありません。
また、日本社会は少子高齢化、都市化・過疎化という課題も抱えており、企業にとってもこれらの諸問題に対して、ヘルステックを活用した課題解決が事業の鍵となってくると思っています。患者、医師、病院経営者などの多様なプレイヤーと解を見つけていくには、「企業の価値観」だけではなく「個人の価値観」へ寄り添った事業の展開が問われてきます。
``一連のヘルスケア・コンティニウム``
堤 浩幸
高齢化に伴い患者数は今後も増加すると言われています。人々の生活実態に沿った対策として重要なのは、「病気になる人の数を少なくする」こと、つまり「健康な人が病気にならないようにする」取り組みだと思っています。フィリップスでは、健康な生活、予防、診断、治療、ホームケアという「一連のヘルスケア・コンティニウム(ヘルスケア・プロセス)」という取り組みをしています。
インタビュアー
――現在、予防に重点を置いた対策とはどのようなものをなさっているのでしょうか。
堤 浩幸
例えばフィリップスでは、電動歯ブラシ「ソニッケアー」とスマートフォンのアプリを、通信技術で連動させた製品を開発しました。これは、歯磨きによる口腔ケアの状態をデータベース化し、毎日の生活習慣の確認をできるようにしたものです。エビデンスを積み重ねて、確実に予防効果があるサービスに投資をしていく事が求められています。また、電動歯ブラシと通信技術を連動させることで歯磨きの動作がデータとして蓄積され、自分自身の口腔ケアの状態をデータベース化することができ、毎日の生活習慣を確認できるようになっています。
``口腔ケアは取り組みやすく、わかりやすい予防策 ``
口腔ケアは、直ぐに取り組むことが可能で、簡単かつわかりやすい取り組みだと思います。しかしながら、日本社会では健康への意識が大変高いにもかかわらず、実際の行動変容へはつながっていないと考えられています。
企業に勤める被雇用者であっても、健康診断を受診しないひとの割合も少なからず存在しています。あるいは健康への意識は高いものの、どうすれば良いかわからない人が多くいます。 そのような現状で最も実践しやすいのが口腔ケアであると思います。
例えばフィリップスで行なった調査では、介護施設に電動歯ブラシを配布することで大きく3つの効果が見られました。(1)介護士および本人にとって大きな負担になっていたブラッシングから解放され、歯を磨く負担や、手を噛まれるといった事故が減少(2)不十分な口腔ケアが原因で肺炎になる入所者の割合が減少(3)肺炎になる入所者が減少したことにより、死亡率が減少した、という3つの効果です。
実績やデータが積み重ねられたものには公的な支援が広がっていけばと考えております。
インタビュアー
――公的支援の意思決定には政策決定に関わる政策立案者の理解が重要と思うのですが「口腔ケアって、ただの歯磨きでは」という意識を変えるために、データが収集できるデバイスの普及が鍵となってくるということでしょうか。
© Health and Global Policy Institute
堤 浩幸
口腔ケアの効果に関しては一目瞭然と言っていいほどのエビデンスがあります。ただし、普及していく上で、「たかが歯磨き、歯ブラシ」から「口腔ケア」へ意識を変えてもらうための活動にあたっては、メッセージの受け手に誤解が生じないように慎重な姿勢も求められると思っています。
健康増進に寄与するエビデンスが複雑だから、「口腔ケア」で健康になることが難しいと考えてもらいたくないのです。理解しやすく取り組みやすいものから、しっかりと取り組んでいくことが必要だと思っています。
口腔ケアが広がると日本の人々の健康寿命がこれだけ延びるかもしれないといったデータも存在しているので、健康指標が思わしくない地域に集中的に取り組んでもらい、目に見える形で、口腔ケアによる健康指標の改善といった実績を作り、日本社会に大きなインパクトを与えることが出来る企業のあり方が重要だと考えています。
”行動変容のための仕組みづくりとヘルススイート・デジタル・プラットフォーム ”
堤 浩幸
日頃の口腔ケアで健康を維持できること、そして歯を磨かないことによる健康へのリスクを効果的な方法で伝えていこうと考えており、 行動変容(Behavior Modification)が大きく注目されます。ある物事に対して、「非認知」の状態から「認知」の状態へ、「無関心」の状態から「関心」の状態へ人々を変えていくために効果的に人の行動を変えるための仕組み作りが大切になってくるとも考えています。
さきほどの介護施設で行った取り組みを普及させるためには、個々の事例で培われた取り組みをエビデンスとして積み重ね共有することが大切になってきます。 その為にフィリップスでは、ヘルススイート・デジタル・プラットフォーム(Health Suite Digital Platform: HSDP)という、データマイニングが可能でオープンなクラウド基盤を、情報の連携基盤として新たに導入いたしました。
インタビュアー
――ヘルステックの未来について教えていただけないでしょうか。
”4つの重点領域”
堤 浩幸
フィリップスでは、ソリューションの提供を行っていこうと考えています。現在(1)オンコロジー(がん領域)、(2)カーディオロジー(心臓領域)、(3)ラジオロジー(放射線領域)、(4)レスパトリー(呼吸器領域)の4つの事業を中心に部分最適化するとともに、長期的には全体最適化できるように取り組んでいます。 患者さんにとって最も大切なサービス、やさしいサービスを提供するモデルを目指しています。
例えば、オンコロジー領域に関しては、CT画像を撮影した後にMRI画像を撮影する等の無駄を減らして効率化するため、一度の検査で確実に診断するというコンセプト“First Time Right”という取り組みを行っています。これはMRIを撮らずに精度の高い確定診断を行えるアプリケーションで、医師と患者の両方の負担を軽減する画期的な技術となっています。
また、ラジオロジー領域に関しては、MRI検査やCT検査で得られた画像から画像診断することを読影と呼びますが、現在は病院やクリニック、もしくは一定規模の検査センターで実施しています。この読影についても効率化の可能性があると考えています。 撮影した画像をデジタル化し、通信技術で共有し、最適な方法で運用していくことで、患者、医師、病院等にとっての効率化が期待されます。
インタビュアー
――医療制度上の課題について教えていただけないでしょうか。
堤 浩幸
現在の日本の医療制度は、原則として、診察時における検査の量が報酬となっています。これでは治療が行われた結果、健康になったのか否かというアウトカムへのインセンティブにつなげていく事が出来ません。また、医療機関同士で医療情報の共有が進んでおらず、別の医療機関を受診すると再度同じ検査を行う場合が多く、大きな無駄が発生しています。これは大きな社会的課題であり、よりアウトカムに重きを置いた医療制度へ変革する必要があると考えています。
これまでは何年もの歳月を要していた科学的根拠を集めるというプロセスが、テクノロジーの発展に伴い非常に短期間で行えるように状況が変わってきています。特に、心不全や糖尿病をはじめとした慢性疾患に関しては、病院に行くことによって劇的に病気が治り、健康になるわけではないため、日常生活から集めたデータから判断する必要があります。
日常生活の中でのデータの収集の重要性についてわかりやすい例がCPAP(シーパップ)です。睡眠時無呼吸症候群の方々の治療に用いられる持続式陽圧呼吸療法(CPAP: Continuous Positive Airway Pressure)は寝ている際の呼吸を助ける機械であり、病院へ通院した際に取得するデータよりも、患者が寝ている間のデータを集めることで、無呼吸で寝ている状態かどうかを判断できる情報を集めることが可能になりました。
また、モニターを通して医師とのコミュニケーションを図ることが可能になると、CPAP以外でも大きな便益があると考えております。通常、CPAPでは、付け心地のせいもあるかもしれませんが、3~4ヶ月で装置を使わなくなる方が見られます。これにより、40%ほどの方では、治療の意味が無くなってしまいます。治療の見える化が進むことによって、手元に自分の治療の成果が残り、モチベーションが高まり、治療の途中でのドロップアウトの率が劇的に減り、アドヒアランスが高まることが期待されています。
しかしながら、これに関連する問題は診療情報の取り扱いです。A病院、B病院、C病院のように細分化されている医療情報を病院側の情報として管理するのか、CPAPのように患者個人がデータを管理できるようにするのか、医療情報の取り扱い方に関するガイドラインの整備については、慎重な議論とマルチステークホルダーによる運用、活用方法の設定が求められます。医療情報をクラウドで管理するのか、デジタル化した状態でどのように取り扱えばいいのか、引き続き考えなければいけません。
インタビュアー
――医療ICTの技術発展によって得られる患者の医療情報データの取り扱い方が重要になってきているということですね。医療情報の取り扱い方は、オンライン診療だけの問題ではなくなり、日常的に収集されるデータがどのように使われるのか、治療にも使用される時代が来るという問題なのかと思います。
”予防医療を推進する企業としての在り方が重要になってくる”
堤 浩幸
人々を取り巻く医療環境は病院や自宅だけではありません。生活の中で多くの時間を過ごす企業があることを忘れてはいけません。これからの予防の時代では、企業がいかに個々人の予防と健康に関心を持てるのかが重要になってきます。
例えば、社員が十分な睡眠を確保できないことは企業側にとってみれば大きなリスクです。社員が適切な睡眠時間を取ることによって、企業でのパフォーマンス、生産性を上げていくことが可能になるのです。昔であれば、職務時間に寝ている人がいると起こしていたかもしれませんが、今は睡眠の障害を有している可能性も考慮したうえで慎重な対応が求められます。いかに働きやすい労働環境を提供できるかが企業にとっても死活問題になってくると思います。
インタビュアー
――国際競争力の観点だと日本の医療ICTはどういった部分に気をつける、どういった政策を行っていくと、意識すると今後のグローバルな貢献が可能になってくるのでしょうか。
堤 浩幸
端的に言うと、日本の諸問題を解決する方法はグローバルにおいても最先端の課題であり、どこも解決策を持っていない課題です。そのため、それを解決し得る医療ソリューションを見つけることが、ひいては国外のグローバルな課題も解決していき、国際貢献につながると考えています。
世界の動きはプロダクトアウト型でプロダクト・セントリックの取り組みは減少傾向にありますが、「ソリューション・プロバイダー」を目指しているフィリップスでは、日本が高齢化社会など世界に先駆けて課題に直面する課題先進国である点を活用し、日本での取り組みを新たなソリューションとしてグローバルに提示していこうと考えています。
我々は外資系企業ではあるものの、会社の風土、考え方、マインドセットは内資系の会社と変わりません。患者、医師、その他多くのみなさまの為にグローバルで使われている好事例に積極的に取り組むとともに、「日本発の」良いものをどんどん世界に出していきたいと考えています。
しかしながら、そのためにはリアルな世界、実生活と一緒に取り組んでいかなければ未来の医療の実現は不可能です。 ビッグデータや遠隔医療などの医療ICTに偏ると本当のソリューションは提供されないと思います。ICTが進化するほど、人間の温かみ、ヒューマンな部分が求められると思います。 IT化を進めていく中ではこういった視点が見落とされやすく、我々のような企業もまた肝に銘じる必要があります。
© Health and Global Policy Institute
フィリップスは働き方改革を含め、健康に関連する事業に関しては自ら実践し、プラットフォームを作る等、未来を切り開いていきたい。 また、これからはエコシステムが重要になってきており、一社では出来ないソリューションの提供を他のパートナーとともに提供していくことが求められると思います。パートナーリング、エコシステムはこれから欠かすことの出来ないことであると思っています。